ことのはじまり
先日、「昔買った雑誌を読む」の記事を書くに当たって、家の本棚の整理をしました。
整理や掃除をするとたいてい「おっ」となった本を読み始めてしまうものです。
「おっ」となった本は2nd 2019年12月号。
blog記事にした雑誌たちと比べると本当に記憶に新しいものです。
レビューもしていました。
そう。「いつもそこにはバブアーがあった」と題打ち、125周年のBarbourを大々的に取り上げた号です。
この号のバブアー特集はかなりボリューミーで読みごたえもあります。
バブアーブームのさなかに登場しただけあってメルカリなどでは定価以上の転売も…
そんな号を読んでいてふと目にした一文。
何か「ん?」となりました
それがこちら
(2nd 2019年12月号より)
原宿「キャシディ」の八木沢さんの「マイバブアー」の紹介文。
カジュアル衣料を取り扱う名店の店員さんだけあって、その着こなしや知識、服飾に関する価値観は大変参考になります。
僕もあこがれてキャシディにお邪魔したことがあります。
しかし、気になるのは、
ヘビーデューティーでは、あるんですが、アメカジに見られるようなハードさとは少し異なり…(略)
の文です。
果たして「Barbour はヘビーデューティー」なのでしょうか。
私自身はただの「その辺の服好きおじさん」ですが、この切り口を元に「ヘビーデューティー」について考えてみたいと思います。
文字面の整理整頓
分解
先ほどの引用文の中から、情報を整理しましょう。
なお、第一ブロック以前の購入エピソードや第二ブロック以降のコーディネートポイントは今回は主題から少しかかわりが薄いと判断し、割愛します。
第一ブロック
僕のワードローブに欠かせないのが「インターナショナルジャケット」。ただ、あの匂いは苦手なので、水洗いをしてワックスは落としちゃいましたけど(笑)
第二ブロック
ヘビーデューティーでは、あるんですが、アメカジに見られるようなハードさとは少し違って、伝統ある英国ブランドならではの洗練さを併せ持っているのがバブアーの印象ですね。
第一ブロックからこのインタビューでは主に「インターナショナルジャケット」についてが中心の話であることが分かります。
しかし、第二ブロック最後で「バブアーの印象ですね」と述べていることからも、ブランド全体のイメージが「ヘビーデューティーではあるが…」と分かります。
そして、気になるのは「水洗いをしてワックスを落としたインターナショナル」
オイル抜きをしているんですね。
ちょっぴりまとめようナ
つまり八木沢さんは
- (乱暴な言い方では)バブアーブランド自体をさして、「ヘビーデューティー」
- 「アメカジのヘビーデュ―ティー」とは違い、「洗練さ」もある
と述べていることが分かります。
オイル抜きしたインターナショナルについてはまた、(後編)で触れる予定です。
ヘビーデューティーとは何か
字面だけでのヘビーデューティー
[名・形動]激しい使用に耐えること。耐久性があること。また、そのさま(デジタル大辞泉)
[ 形動 ]酷使に耐えるさま。耐久性のあること。(大辞林)
と、「言葉」としての意味をとらえるのであれば、ようは「頑丈なものやその様子」ということでしょう。
この言葉がファッション用語として根付いたのは、あの名著がきっかけでしょう。
文化としてのヘビーデューティー
「ヘビーデューティーの本」とは
1977年発行『ヘビーデューティーの本』は「MEN'S CLUB メンズクラブ」の掲載記事を中心にまとめられたもので、小林泰彦さんによるもの。
新装版がkindleで読めます。
こちらの本がけん引する「アウトドアブーム」により、「実用性重視」「頑丈さ」を売りにしたアイテムたちを「ヘビーデューティー」と表現したことで、ファッション用語として根付いたものとされています。
しかし、次項で述べるように字面と同じ頑丈さがヘビーデューティーそのものではないことを本の中では述べています。
小林さんの語るヘビーデューティー
この本の中でははしがきてきに、大前提として、ヘビーデューティーがどんなものか書かれています。
ヘビーデューティーを我々が意識したのは米国に始まる。その米国で、ヘビーデューティーとは「丈夫な」でしかないだろう。それ以上の意味をそこへくわえるのは輸入国の考えすぎかもしれない。
けれども、居直るわけではないが、それでいいと思うのだ。ヘビーデューティーという言葉の背景には「丈夫な」というだけではとても説明しきれない意識や生活がある。我々が知りたいのはそれであり、この本の目的そこにある。
付け加えの第一はヘビーデューティー、イコール「本物」ということ。ヘビーデューティーとは物の本質をふまえたもの。その目的を満足させるもの。必要でしかも十分なもの、良く機能するもの、つまり本もののことなのだ。
さて、この文を読み解くに、
- 元来の英語としての意味「丈夫」に意味を加えたものが「(日本の)『文化』としてのヘビーデューティー」
- 「ヘビーデューティーな道具、生活」に必要なのは「本物・本質」志向
ということが要点ということになります。
そしてこの本の中ではこのようにも触れています。
ヘビーデューティーの範囲は、この本で触れているアウトドア・ライフなどのスポーツ、リクレーションの世界の他に送外労働や作業などのワーキングのためのもの(軍用品まで含めて)があって、これはこれでたいへんなものなのだが、この本ではごく一部を除いては触れなかった。
つまり、基本的なものとして扱われているのは「アウトドアスポーツ・レジャー」での物になるということです。
なぜかというとワーキングのためにヘビーデューティーであるのは当然であり(中略)これらのものは一般のヘビーデューティーに影響を与えるソースであることは認めるけど、この体系の中に入れるわけではなかった。
といっています。
つまり「軍物」「ワークウェア」は丈夫で当然なので、自然の中のスタイルに必要として「丈夫さ」がうまれたものではない。
「遊び」がないという論です。
例として挙げているのがワークブーツ
コンクリートやアスファルトの上に立つ都市労働者の足のために設計されたもので、オフロードや雪や泥にはまったく無力なばかりか歩くという機能性さえ、あてにならないものだ。
そんなふうに、ある場合は共通点があっても別の面では正反対だったりするので、これじゃこれで他の機会に語られるべき(略)
これはまたなかなか厳しさも求められる基準であると思います。
現代のワークブーツがこの側面をクリアしているかはおいておいて…
局所的には活躍するけど、別側面では機能しない」ものは(ここで語られるべき)ヘビーデューティーではないといっています。
ちょっぴりまとめようナ
さて、小林さんの考える「文化としてのヘビーデューティー」について、ここまでのことをまとめると
- 米国の指す「丈夫な」に意味を加えたもの
- 本物・本質志向
- 軍物、ワーク物は(基本的に)除く
- 局所的にしか機能しないモノは除く
ということが基本条件になります。
ヘビーデューティーということは…
さて、八木沢さんの語る「ヘビーデューティー」はこの「文化としてのヘビーデューティー」である可能性が高いでしょう。
キャシディというお店の持つ世界観や、数々のメディアでの発言からそう考えたほうが自然です。
よって、このブログ記事でも、「丈夫」であればよしというわけでなく、小林さんが語る「文化としてのヘビーデューティー」の観点から考えていきたいなと思います。
しかし、長いので、いったんここで終了。
「バブアーとヘビーデューティー(後編)」に続きます。