前編はこちら
バブアーはヘビーデューティーなのか
さて、(前編)から以下のことが「文化としてのヘビーデューティー」の基礎条件ということになります。
- 米国の指す「丈夫な」に意味を加えたもの
- 本物・本質志向
- 軍物、ワーク物は(基本的に)除く
- 局所的にしか機能しないモノは除く
さて、ではバブアーに「文化としてのヘビーデューティー」を当てはめてみます。
基本条件を当てはめて
米国の指す「丈夫な」に意味を加えたもの
そもそもバブアーは別に丈夫ではありません。
リプルーフの記事にも書きましたが、バブアーに使われている生地はそこまでオンスが高いものではないのです。
ミディアムオンスで6oz、ヘビーオンスで8oz。
となると、ヘビーなTシャツと近いくらいなんですね。
それをアウターとしてどんどん使うので、小穴や擦れは多いです。
つまり「丈夫」の観点、いうなれば「文字通りのヘビーデューティー」としてはあまりバブアーは評価は高くないように感じます。
しかし、アウトドアシーンにおいてラフに使うことができる側面、リペアもアジとして、修理しながら長く長く使える「表情」としてのタフさが「意味を加えたもの」として「文化として」は評価されているのではないでしょうか。
日本では襤褸(ぼろ)のように継ぎ足し、補強されたものを愛してきた文化があります。
そう考えるとこのリペアでつぎはぎになりながらも「アウトドアシーンに映える」ことは実に「文化としてのヘビーデューティー」といえる気がします。
本物・本質志向
バブアーは北海の悪天候から身を守るために開発された商品です。
ここから雨、風から身を守ることを本懐とし、バブアーの「本来の意義」として扱うことができます。
となれば、「雨、風から身を守る」ことのできないバブアーは、その点においてヘビーデューティーにおける「本物・本質志向」から外れるのではないでしょうか。
それは、ノンオイルのバブアーやオイル抜きしたバブアーを指していると思います。
逆を言えばワックスコットンのモデルでないキルティングジャケットや、セーターなど悪天候に配慮するための衣類はヘビーデューティーと解釈することもできそうです。
しかし、そうなると「バブアー」が作ってなくてもよいことになりそうで…
本来の意義を発揮し「雨、風から身を守る」ために開発されたワックスコットンのモデルこそ「文化としてのヘビーデューティー」と呼びたい気がします。
この項目における結論、「使用生地による」ということになりそうです。
軍物、ワーク物は(基本的に)除く
なるほど、そうなると「軍」に納入していた「トレンチコート」「NATOモデル」「ウルスラ」などは排除されていきそうです。
そもそも、(前編)の小林さんの話の中でも取り上げましたが、「文化としてのヘビーデューティー」はアウトドアスポーツ、レクリエーションの中での活躍するものを対象としています。
さて、こうなると浮かび上がってくるのは「乗馬」「ハンティング」「フィッシング」などのためのモデルたち。
乗馬では、「ビデイル」「バーレイ」「マークフィリップス」
ハンティングでは、「ビューフォート」
フィッシングでは、「スペイ」
モータースポーツも入れるのであれば「インターナショナル」
など実にアウトドア(屋外)スポーツ・レクリエーションのためのモデルが多くあります。
そしてこれらのモデルはご存知の通り、それらのスポーツの特徴を「必要にして十分」取り入れてます。
例:バーレイの足を通すベルト、スペイの丈、インターナショナルの斜めのポケット
先ほどの「本物志向」にも通ずるディテールの存在は、「文化としてのヘビーデューティー」としての話からは外すことのできない要素であると思います。
この観点に関して言えば「モデル(型)に応じて」ということになりそうです。
局所的にしか機能しないモノは除く
この観点に関しては「本質」に関わると思います。
バブアーの本質は「雨、風から身を守る」果たして、これが「局所的」にしか機能しないモノであることはなさそうです。
バブアーとヘビーデューティー
これらの観点を合わせると、
「すべてのバブアーはヘビーデューティーである」
と言い切ることは難しいでしょう。
言い換えるのであれば
「バブアーであればヘビーデューティーである」
とは言えないのです。
しかし、「バブアー」の中にはワックスコットンを使い、アウトドアスポーツ・レクリエーションにおける「本物」的な 存在意義をもつモデルも多く存在します。
そしてそれらのモデルが「代表モデル」として君臨する以上バブアーはヘビーデューティーなのではないでしょうか。
そして面白いことにそれら「代表モデルたち」は1970年代後半の「ソルウェイジッパー」に端を発するモデル。
主に1ワラント期から旧3ワラント期までに誕生モデルに多いということになります。
これは1977~であり年代的には「ヘビーデューティーブーム」のはじまりと重なる時期です。
(もっと深く考察すれば、このあたりの世界情勢と世界アウトドアブームにもつながりが出てくるでしょう。ちょっと今回は調査不足ですが勘弁してください)
この日本において「バブアーはヘビーデューティー」と位置付ける基礎作った立役者は…
会社を大きくするためにカントリースポーツとしてのバブアー開発をはじめた4代目ジョンバブアー。
そして彼の夭折後に意志を受け継いだ妻のマーガレットバブアーの二人なのかもしれません。
八木沢さんの発言に立ち返ろう
- (乱暴な言い方では)バブアーブランド自体をさして、「ヘビーデューティー」
- 「アメカジのヘビーデュ―ティー」とは違い、「洗練さ」もある
と(まとめてしまった)八木沢さんの発言。
細かいところは置いといても、バブアー自体が「ヘビーデューティー」なモデルを多く発売していることから、上の言葉には概ね賛同できます。
そして、下の発言については「基礎条件」にもあるように「アメリカ(アメカジ)と違った(意味を加えた、「丈夫な」とだけとはくくれない)ヘビーデューティー」であるので同意です。
オイル抜きしちゃうとどうなのよ
さて、ここで出てくる「オイル抜いちゃいました」インターナショナル。
これをしちゃうと、「本物志向」から外れるような気がします。
まぁ八木沢さんの発言は、
「インターナショナルはワードローブに欠かせない」
「オイルの匂いは苦手で~」
「ヘビーデューティーではあるのですが~バブアーですね」
の構成なので、この「オイル抜きインターナショナル」をヘビーデューティーとは言ってないんですけどね。
SLってどうなのよ
八木沢さんはSLも買っています。
日本人の体形に合わせたSL。
この辺は解釈次第なのでむずかしいですね。
このスリムフィットになった理由は、「本物・本物志向」とは違った「ファッション」の観点に近いものがあります。
しかし、その要素が加わったからといって「本質」である「雨、風から身を守る」ことは損なわれずディテールに致命的な変更がないのであれば、「文化としてのヘビーデューティー」の範疇に入るのかなと思います。
しかし、ある意味では「イギリスもの」が損なわれたのでは?とも取れます。
あなたはどう思いますか?
今更だけど僕は八木沢さんのファンです
重箱の隅をつつくような論を展開しておいて、いうのもあれですが僕は昔から八木沢さんのファンです。
前編でも言いましたが、キャシディも行きました。
思想、趣味のすばらしさはこれらの本で学びました。
この本は様々な業界人の「ファッションルール」が載っています。
ネクストブレイク中の武田真治さんも…
のちの「 革靴読本」「革靴自慢」シリーズにつながるムック。
価格は今と全然違いますが、この本を見ると多くの革靴にあこがれた20代前半に戻れます。
この中で八木沢さんの靴達にも衝撃を受けました。
まとめようナ
いかがでしたか。
僕自身は「ヘビーデュ―ティー」ブームの時代の人間ではございません。
しかし、改めて「ヘビーデューティー」の考え方に触れ、日本の「洋」服へのあこがれや解釈、試行錯誤に触れたような気がします。
そして、(僕にとっては)身近なバブアーという服の魅力について再認識しました。
こういった「歴史」「文化」で服を考えるのも面白いですね。
余談
バブアーには「ヘビーデューティージャケット」というモデルも存在します。
これは新3ワラント時代(2000~)のもので、10オンスのモデル。
これはどちらかというと「字面でのヘビーデューティー」の考えなのが面白いですね。
そして品番はA501。
ジーンズの名番リーバイス501というのに縁を感じるのは僕だけでしょうか?