ことの発端
先日家の鍵を開けるとき、荷物があまりにも多くて、大変でした。
早く中に入りたい坊は「パパ開けて~」と言っており…
坊に鍵を渡して開けてもらうことにしました。
「開けれる?」と聞くと、「うん」と張り切って手伝ってくれる模様。
このところはしっかりとお兄ちゃんらしくなってきました。
しかし、自分の態勢も悪く、鍵はキーケースごと地面へ。
思わず
「あっ」
と声を出してしまったのですが、その時の坊の顔は、ひきつっており…
坊からしたら、「やってしまった」感覚なのでしょう。
地面には 、キーケースとはずれてしまった家の鍵。
その時は、結局荷物をいったん車に戻し、僕がカギを開けました。
その時の坊の顔が忘れられません。
彼からしたら、「はりきってお手伝い」のつもりだったのでしょうが、結果待っていたのは壊れたように見える鍵。
鍵が大事なものだとはわかっているので、ショックを受けたのだと思います。
思わず出た感嘆詞の「あ」一言が結果、少し自信喪失になってしまったようで。
それ以降しばらく鍵を開けてくれようとすることはなくなってしまいました。
こんなことは、子育てをしていればよくあることなのでしょうが、「親の一言」や「失敗」の情景をはっきり覚えており、挑戦心を失ってしまっている子供たちは何人も見たことがあります。
親が「そんなこと?」と思っていることでも、(傷つくとは言わないまでも)よく覚えており、枷になってしまうことはよくあります。
幸い、坊のお手伝いは「鍵をあけること」以外は自信をもってやってくれていますし、大きくマイナスの記憶に残っていることはなさそう。
ただ、鍵を見ると「落としちゃったね」「壊れちゃった?」と聞いてくるのでいたたまれません。
感嘆詞を我慢することは難しいですが、気を付けなくてはと思った一件でした。
肝心のキーケース
2年前の誕生日にもらったヴァレクストラ。
修理しないと中の金具が曲がってしまい、使用することもできません。
なにより、各カギを留める金具のバネがいかれてしまったので、ぽろぽろと鍵が落ちてしまいます。
買い替えかなぁと思っていた矢先に、gohkitiさんのblogでもキーケースの話題が。
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15年という月日を共にしてきたキーケースをどうするのかで、熟考されているのに、まだ2年の付き合いの物を買い替えてもいいのか…とも思います。
そんなことを妻に相談すると、「娘誕生したし買えばいいのでは?」の一言。
なるほど、エイジングできるものを選ぶという天啓を与えてくれました。
「物に意味を付加してく」ことは先の万年筆の投稿でも書いた通り。
颯爽と申しこみ、新しいキーケースを手にすることとなりました。
実際の物についてはまた投稿するとして、ヴァレクストラのキーケースも修理に出そうと思います。
「修理に出すなら買わなくても…」というご意見も承知ですが、転勤に伴い「鍵」の管理がどうやら増えそう。
「職場用はリングで束ねて置け」と考えていたのですが、日々の生活を少しでも楽しむために、お気に入りの物を家・職場に配置していこうと思います。
ミニマリストにはなれませんね…